真の職人の意味を考える ベテランから若手への魂の継承

弟子入りして一人前になるまで何年もかかる寿司職人の修行を三ヶ月で修了できる専門学校がある。

そこを卒業した寿司職人を特集したテレビ番組で、髪の毛をいじった後、布巾に触れ、寿司を握り出した場面が放送された。するとそれを見た視聴者から、衛生管理がなっていない、寿司職人としての基本ができていないといった指摘があり、ちょっとした騒ぎになった。それを見て、改めて職人について考えた。

▼職人とは自ら身につけた技術により、モノを作り出す職業のこと。いくつかの辞書を見ても、このように意味はおおむね共通している。職人は親方に弟子入りして修行を経てなれるものであり、原理主義的にいうと、前述の寿司職人は職人ではない。「寿司の握り方を学んだ人」であり、単なる調理人だ。

また、寿司を握って生計を立てられている人を寿司職人と呼ぶのであれば、くだんの人はまだ寿司職人とは言い難い。そのスタート地点に立っただけだ。寿司店の経営者、またはそこで寿司を握る仕事をしている人は経験を積んだ社会人。騒ぎになった人は、学校を出たばかりで寿司業界に飛び込んできた新入社員。そう見ればまだ未熟なのも納得であり、期待しすぎるのも酷な気もする。

▼この騒動を見て、製造業における技術継承の難しさ、育成の難しさを感じてしまった。

ベテラン技術者は職人的な要素を多く含んでいる。単に技法を教える・学ぶだけならマニュアルで良い。IoTの技術を駆使してベテラン技術者の技能をデータ化し、それをマニュアルに落とし込む、または機械で自動化すれば、表面的には技術は継承できる。しかし、それでは身につけるまでのプロセスや考え方は継承されていかない。

大量生産を担う作業者、オペレーターを育成するならそれでいい。しかし、いま日本の製造業に必要なのは、新しい技術やサービス、価値を生み出す人材だ。

技術は突然変異で、ゼロから急に生まれるものではない。積み重ねの上から誕生し、そこから広がっていく。教える側も、教わる側も、単に表面的な技術を継承するだけではなく、次の進化を生み出すために深く技術を学ぶ。それ相応の心構えが必要だ。